温暖化の歴史

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18世紀にイギリスで起きた産業革命は、人々の暮らしを大きく変えることになりました。それまで手工業(作業場)に近かった生産手段がマニュファクチャー工場制手工業(工場)に切り替わって、資本主義社会が発達しました。

1733年にジョン=ケイによって発明された飛び杼(とびひ)によって、布を織る速度が約2倍になり、動力となるワットが改良した蒸気機関は、とりわけ綿工業の分野で取り入れられ、紡績機などが実用化した結果、工場の高速化と半自動化が進み革命的な生産量を実現します。
今まで、洋服の生地が完成するまで数週間掛かった洋服は高価でした、しかし、数時間で生地が完成するようになり、一般庶民も手軽な価格で服を買えるようになり、大量消費社会が形成されてゆきます。

1825年にはイングランドの北東で40キロメートルの鉄道路線が開通し、その5年後には綿工業の中心地であるマンチェスターと貿易港であるリヴァプールの間に最初の旅客鉄道が開通し、今まで馬車での荷物の運送が鉄道によって大量輸送されることで、同じく輸送コストが削減出来、各製品がより手ごろな価格で手に入るようになりました。

東インド会社設立当時の1600年と産業革命が一段落した1820年の推定国内総生産を比較すると、イギリスは6倍、近隣ヨーロッパ諸国の5倍以上の発展と遂げています。

しかし、それは川を汚染し、蒸気機関が煙を吐き町中が汚れ、恩恵の副作用を18世紀後半に気づき始めます。
工場はやがて植民地や開拓地へ移ります。
18世紀産業革命が始まる頃の世界の大都市の大気中二酸化炭素は340ppmでした、2020年にそれは410ppmを超えました。

また、18世紀半の世界人口は約9億5千万人、2021年、国連の統計によると2021年3月の時点で、の現在の世界人口は79(80)億人です。
約80億の人々の生活の為、毎年約136億トンの化石燃料が発電用だけに使われています。
結果、温暖化による海面上昇、工場や生活汚水等による水質汚染、重工業や農業等による土壌汚染、住宅や工場の確保の為の森林伐採異常気象、違法投棄による、リサイクル可能資源の廃棄海洋プラスティック問題など。

しかし、同じく私たちはオゾン層破壊問題に直面していました。皮膚がんの多発問題、植物や浅瀬の海洋生物の異変に気付き、エアコンや冷蔵庫の冷媒など、多くの用途で利用されていた安価で便利でしたが、破壊作用の強いフロンガス(クロロフルオロカーボン(CFC))の使用を2009年に中止しました、その後段階的に他のフロンガスも新製品への使用を中止してきました。

2021年、オゾン層は回復に向かっています。
早ければ2030年には北半球および中位層オゾンは完全回復し、一番遅い南極においても2060年には回復することが期待されています。

環境は元に戻る復元力があり、私たちが直面する問題を改善・改革することにより、地球環境は将来戻ると信じています。

先ず、1人より大きな単位の一社、一社が出来る事から始めてみませんか。きっと、数年後にいくつかの問題はゴールしていると思います。そして、それが次の世代への価値観に代わる事を願います。

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